メルカリに出す箱の前で、ノイズキャンセリングイヤホンだけが手から離れなかった。

出費の穴埋めに、家を見渡した

先日、ちょっとした失敗で大きな出費を出した。原因は自分の甘さで、誰のせいにもできない。いい勉強代だったと言いたいところだが、金額を思い返すと少し微妙な気持ちになる。

とはいえ落ち込んでいても仕方がないので、その分をメルカリで取り返すことにした。家の整理にもなるし、一石二鳥だ。

そう思って部屋を見渡して、少し驚いた。前回それなりに整理したはずなのに、いらないものがまだ山ほどある。

断捨離は、いつまで経っても終わらない

以前、「持つ」ことは「捨てる」ことという記事を書いた。所有には維持のエネルギーが要る、だから本当に必要なものだけを選んで持とう、という話だ。

書いた当時、私はどこかで「断捨離が終わったら解放される」と思っていた。身の回りが片付いて、余計なものがなくなって、そうしたらゆっくり音楽でも聴こう、と。

けれど、その日は来ない。

季節ごとにモノが増えるイベントがあり、家族が増えれば持ち物も増える。稼がなければならないし、AIの台頭で仕事の量はむしろ一気に増えた。息子の育児もある。自分の時間なんてほとんどない。

断捨離は終わらない。「終わったら」の先にある解放を待っていると、たぶん一生待つことになる。

2ヶ月、触っていないイヤホン

そんな中で、真っ先に売却候補に挙がったのがノイズキャンセリングイヤホンだった。

最近は電車に乗る機会が減った。最後に使ったのがいつだったか思い出せず、記憶をたどると2ヶ月ほど前だ。理屈で考えれば答えは明らかで、また通勤するようになったらそのとき買い直せばいい。

なのに、手が止まる。

言い訳はいくつも浮かんだ。これは手元に残った最後の「良い音質で音楽が聴けるデバイス」だ。オーディオ機器はもうずいぶん売ってきた。これを手放したら、最高音質で聴く手段が一つもなくなる。万が一、音楽が聴きたくなったときに聴けるという安心感がある——。

その「万が一」が2ヶ月来ていないことには、目をつぶって。

手放せないのは、イヤホンではなかった

しばらく考えて、ようやく気づいた。

私が手放せないのはイヤホンではない。「いつか暇になったら、ゆっくり音楽を聴く自分」を諦める宣言になるのが嫌なのだ。

あのイヤホンは今、私の生活の中で何の役にも立っていない。前の記事の言葉を使うなら、冷却装置として機能していない。ただ引き出しの中で、後回しにした人生の象徴として眠っている。

売ることが辛いのは、音質を失うからではなかった。「いつか暇になる」という前提が、もう嘘になっていると認めるのが辛いのだ。

一方、時計は残すことにした

同じタイミングで、Google Pixel Watch も売却候補に挙げていた。時間ならスマホでも見られる。腕に何かを着けている感覚から解放されたい、という気持ちもあった。

けれど、こちらは残すことにした。

理由は心拍数だ。体調が悪いとき、なぜか心拍数が高い。酒を飲んで苦しくなるときも上がっている。「あ、心拍数が高いからか」と後から気づけることが何度もあった。

心拍数はスマホでも測れる。ただ、測りに行くのと、すでに測られているのは違う。測りに行くのは異変に気づいた後の行動で、常時測られているのは異変に気づかせてくれる側の仕組みだ。この二つは似ているようで、役割がまったく逆になる。

そして何より、時計は今日も動いている。今日の私が実際に使っている。

今動いているものと、いつかのために眠っているもの。同じ「便利なガジェット」の顔をしていても、この二つは別物だった。

問いを、もうひとつ足す

前の記事で、私はこう書いた。

「これは自分の生態系を維持するために、本当に必要な冷却装置だろうか?」

買う前にこう問えば無駄な所有は減る、と。今でもそう思う。ただ、問いが一つ足りなかった。

「それは今、冷やしているか?」

冷却装置として買ったものでも、生活が変われば冷やさなくなる。冷やしていないものを持ち続けているとき、私たちはモノを持っているのではなく、諦めの先送りを持っている。引き出しの中の未練に、収納スペースと管理コストを払い続けている。

だから、1ヶ月使ってみる

とはいえ、この気づきをもって即売却、とはしなかった。

決めたのは、1ヶ月だけ意識して使ってみることだ。「暇になったら」ではなく、皿を洗っている間。寝かしつけが終わった後の15分。近所を歩く10分。ながらでいいから、音楽を聴く場面を自分で作ってみる。

それで一度も手が伸びなかったら、そのときは未練なく売る。答えが出たということだから。

逆に週に何度か使っていたなら、それは月額0円で維持できる、いちばん安い冷却水だったということになる。

出費の穴埋めは、明らかにいらないものから先に片付ければいい。迷うものは列の最後尾で構わない。明確な不要品を売り切る頃には、この実験の答えも出ているはずだ。

断捨離が終わったら音楽を聴くのではない。音楽を聴くから、そのイヤホンは持つ意味がある。順番が逆だっただけの話だった。